楽園追放

 


目次

◆天地創造
◆アダムの創造
◆女の創造
◆蛇の誘惑
◆楽園追放
◆楽園追放
◆カインとアベル
◆ノアの箱舟
◆大洪水
◆鳩を放つ(ミレイ)
◆鳩を放つ(ドレ)
◆ノアの祭壇
◆受胎告知
◆羊飼いの礼拝
◆東方三博士の旅
◆三博士の礼拝
◆エルサレム入城
◆弟子の足を洗うキリスト
◆最後の晩餐
◆ゲッセマネの祈り
◆聖衣剥奪
◆十字架の下での悲しみ
◆十字架降下
◆我に触れるな
◆キリストの洗礼1
◆キリストの洗礼2
◆悪魔の誘惑
◆ペテロとアンデレの召命
◆マタイの召命

日本聖書協会発行『アートバイブル』より
『アートバイブル』の絵の使用については、当サイトより日本聖書協会に申請をして、同協会より許諾を得ています。」2007N10010 ●聖書からの黙想は、:坂野慧吉著「創世記」『新聖書講解シリーズ:旧約1」(いのちのことば社発行):を参照しています。

「名画で巡る聖書の旅」

バイブル・アンド・アート・ミニストリーズ / 代表 町田 俊之

■第5回 ミケランジェロ「楽園追放」(1508-12年、システィーナ礼拝堂)

5、楽園追放 <アートバイブル:p.17>

◆聖書箇所

 主なる神は言われた。「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木から取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」
  主なる神は、彼をエデンの園から追い出し、彼に、自分がそこから取られた土を耕させることにされた。こうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた。
                       ー創世記3章20〜24節ー

◆聖書からの黙想

 神がアダムとエバをエデンの園から追放されたのは、人が本当にいのちを得るためには神のさばきを体験しなければならなかったからでしょう。なぜなら、神が善を愛し悪を憎まれるのに対して、人は善を憎み、悪を愛するようになったからです。
  神は人を楽園から追放し、そのことによって人が自分の限界と罪とを知り、悔い改めて神に立ち返り、永遠のいのちを得ることを可能にされたのです。
  神は罪に対しては厳然たるさばきを表わしていますが、神のさばきなしには、また神の救いもないからなのです。神のさばきを避けて神の愛と救いを求めるのは間違った行為であり、神のさばきがあるからこそ、キリストの十字架の身代わりの死の必要性が導かれてくるのです。

◆絵画からの黙想

<悲惨な表情の男と女>
  この絵からまず印象に残るのは、男女の険しい表情ではないでしょうか。天使の鋭い剣に追い立てられて深い悲しみをたたえて出て行かなければなりません。神によって創造されたときのアダムの表情とは一変します。神とともに歩むことの大いなる祝福と、神に背を向けて歩むことの耐え難い悲惨さが対照的に表わされています。
  また、この男女の表情から、人間の犯した罪の大きさ、後に人類にもたらすであろう不安感や絶望感、互いの不信感からくる争いや戦争などをも暗示しているようです。神から離れたことそれ自身が、実は神からのさばきそのものでありました。そして、この男女の表情は、私たちも神から離れて罪を犯したときの共通の表情でもあるのです。

 

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