弟子の足を洗うキリスト

 


目次

◆天地創造
◆アダムの創造
◆女の創造
◆蛇の誘惑
◆楽園追放
◆楽園追放
◆カインとアベル
◆ノアの箱舟
◆大洪水
◆鳩を放つ(ミレイ)
◆鳩を放つ(ドレ)
◆ノアの祭壇
◆受胎告知
◆羊飼いの礼拝
◆東方三博士の旅
◆三博士の礼拝
◆エルサレム入城
◆弟子の足を洗うキリスト
◆最後の晩餐
◆ゲッセマネの祈り
◆聖衣剥奪
◆十字架の下での悲しみ
◆十字架降下
◆我に触れるな
◆キリストの洗礼1
◆キリストの洗礼2
◆悪魔の誘惑
◆ペテロとアンデレの召命
◆マタイの召命

日本聖書協会発行『アートバイブル』より
『アートバイブル』の絵の使用については、当サイトより日本聖書協会に申請をして、同協会より許諾を得ています。」2007N10010 ●聖書からの黙想は、:坂野慧吉著「創世記」『新聖書講解シリーズ:旧約1」(いのちのことば社発行):を参照しています。

「名画で巡る聖書の旅」

バイブル・アンド・アート・ミニストリーズ / 代表 町田 俊之

■第19回 ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」
  (1495〜97年、ミラノ、サンタ・マリア・ディレ・グラッツェ修道院)

19、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」<アートバイブル:p.125>

◆ 聖書箇所

 イエスはこれらのことを話されたとき、霊の激動を感じ、あかしして言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ります。」弟子たちは、誰のことを言われたのか、わからずに当惑して、互いに顔を見合わせていた。弟子のひとりで、イエスが愛しておられた者が、イエスの右側で席に着いていた。
  そこで、シモン・ペテロが彼に合図して言った。「だれのことを言っておられるのか、知らせなさい。」その弟子は、イエスの右側で席に着いたまま、イエスに言った。「主よ。それはだれですか。」イエスは答えられた。「それはわたしがパン切れを浸して与える者です。」それからイエスはパン切れを浸し、取って、イスカリオテ・シモンの子ユダにお与えになった。彼がパン切れを受けると、そのとき、サタンが彼にはいった。そこで、イエスは彼に言われた。「あなたがしようとしていることを、今すぐしなさい。」席に着いている者で、イエスが何のためにユダにそう言われたのか知っている者は、だれもなかった。ユダが金入れを持っていたので、イエスが彼に、「祭りのために入用の物を買え。」と言われたのだとか、または、貧しい人々に何か施しをするように言われたのだとか思った者も中にはいた。ユダは、パン切れを受けるとすぐ、外に出て行った。すでに夜であった。
                          - ヨハネ13:21〜30節 -

                         

◆聖書からの黙想

・ 「最後の晩餐」とは、キリストが十字架につけられる前夜、12弟子たちと共にした最後の食事のことである。しかし、ここには宗教的な大きな意味があった。昔ユダヤ民族はエジプトに奴隷生活を強いられており、指導者モーセによってエジプトを脱出(出エジプト)することになる。イスラエルの民がエジプトを脱出するために、神がエジプトを裁くとき、ユダヤ人の家の鴨居に羊の血をぬるならば神の裁きが過ぎ越されることから、後のユダヤ人は伝統的に「過ぎ越しの祭り」を祝っていた。この祭りは一週間行われていたが、ユダヤ人たちは一週間パン種を入れないパンを食べたので、種なしパンの祝いとも呼ばれていた。
・ この祝辞の席上でイエスは、弟子たちのうちの一人が自分を裏切ることを語った。それは、裏切る者に悔い改めの機会を与えたかったからである。しかし、その者は悔い改めることなく、サタンの導きに自己を委ねて、イエスを裏切る行為に走ったのである。イエスは、自分は聖書に書いているように死ぬと語ってはいるが、だからといって、イエスを裏切る者の責任が軽くされるわけではない。だからこそ、イエスは最後までこの者に悔い改めを迫ったのである。

◆絵画からの瞑想

・教会の左手になるドメニコ会の旧修道院の食堂の壁に、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」があります。修道院は第二次世界大戦中に爆撃を受けましたが、この壁画は奇跡的に破壊を免れました。
・この時に、イエスは12弟子の中で、自分を裏切るものがいることを予言したことを聞いた弟子たちの驚きを描いたのが本図であり、キリスト教の伝統的な主題の一つです。
・「最後の晩餐」のときの食事もその時を記念して行なわれたのです。その時はパン(キリストのからだ)とぶどう酒(血を意味する)・・・かつては<旧約時代>「過ぎ越し」で救われたように、これから<新約時代>はキリストのからだと血(十字架)で救われることを覚えるためでありました・・・現代の聖餐式に当たります。
・ダ・ヴィンチは「身体の動作によって魂の情熱をよく表わしている人物像こそ称賛に値する」と述べています。この12弟子の身体と顔の表情は、これまでの「最後の晩餐」図にはない画期的なものです。今まさに目の前で起こっている晩餐の悲劇を迫真のドラマとして表現しており、また、ユダの位置もこれまでの伝統的な配置からもとらわれない構図で表わしました。
・<「最後の晩餐」の修復> 一般的に壁画は「フレスコ」技法で描かれていましたが、遅筆なダ・ヴィンチは描き直しや緻密な細密描写が可能な「テンペラ」技法で、この壁画に挑戦しました。しかし、ミラノ地域の特有な湿気は画面を剥落させ、後世の修復家たちが様々な工夫で修復していきますが、次第にダ・ヴィンチの作とは言い難くなってしまいました。完成後500年を経て、20年の歳月でダ・ヴィンチのオリジナルの修復を2000年に修了しました。・・・それによりイエスの口が開いていることが確認されました。

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