ゲッセマネの祈り

 


目次

◆天地創造
◆アダムの創造
◆女の創造
◆蛇の誘惑
◆楽園追放
◆楽園追放
◆カインとアベル
◆ノアの箱舟
◆大洪水
◆鳩を放つ(ミレイ)
◆鳩を放つ(ドレ)
◆ノアの祭壇
◆受胎告知
◆羊飼いの礼拝
◆東方三博士の旅
◆三博士の礼拝
◆エルサレム入城
◆弟子の足を洗うキリスト
◆最後の晩餐
◆ゲッセマネの祈り
◆聖衣剥奪
◆十字架の下での悲しみ
◆十字架降下
◆我に触れるな
◆キリストの洗礼1
◆キリストの洗礼2
◆悪魔の誘惑
◆ペテロとアンデレの召命
◆マタイの召命

日本聖書協会発行『アートバイブル』より
『アートバイブル』の絵の使用については、当サイトより日本聖書協会に申請をして、同協会より許諾を得ています。」2007N10010 ●聖書からの黙想は、:坂野慧吉著「創世記」『新聖書講解シリーズ:旧約1」(いのちのことば社発行):を参照しています。

「名画で巡る聖書の旅」

バイブル・アンド・アート・ミニストリーズ / 代表 町田 俊之

■第20回 マンテーニャの「ゲッセマネの祈り」
  (1459年、ロンドン、ナショナル・ギャラリー)

20、マンテーニャの「ゲッセマネの祈り」<アートバイブル:p.129>

◆ 聖書箇所

 それからイエスは弟子たちといっしょにゲッセマネという所に来て、彼らに言われた。「わたしがあそこに行って祈っている間、ここにすわっていなさい、」それから、ペテロとゼベダイのふたりとをいっしょに連れて行かれたが、イエスは悲しみもだえ始められた。
そのとき、イエスは彼らに言われた。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、わたしといっしょに目をさましていなさい。」それから、イエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈って言われた。「わが父よ。できますならばこの杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」それから、イエスは弟子たちのところに戻って来て、彼らの眠っているのを見つけ、ペテロに言われた。「あなたがたは、そんなに、1時間でも、わたしといっしょに目をさましていることができなかったのか。誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」
イエスは二度目に離れて行き、祈って言われた。「わが父よ。どうしても飲まずには済まされぬ杯でしたら、どうぞみこころのとおりになさってください。」イエスが戻って来て、ご覧になると、彼らはまたも眠っていた。目をあけていることができなかったのである。

  イエスは、またも彼らを置いて行かれ、もう一度同じことを繰り返して三度目の祈りをされた。それから、イエスは弟子たちのところに来て言われた。「まだ眠って休んでいるのですか。見なさい。時が着ました。人の子は罪人たちの手に渡されるのです。立ちなさい。さあ、行くのです。見なさい。わたしを裏切る者が近づきました。」

                               - マタイ:26:36〜46節 -

                         

◆聖書からの黙想

・ イエスと弟子たちは、オリーブ山のふもとにあるゲッセマネという所に来た。イエスは弟子たちをそこに残し、ペテロとヤコブ、ヨハネの三人を連れてさらに進み、そこで祈り始めた。イエスは十字架を目前にして、その苦しみを受けるための内面的な葛藤と戦わなければならなかった。イエスにとっては、肉体を持つ人としての苦しみ、そして罪なき人が罰を受けなければならない苦しみ、そして父なる神に捨てられるという苦しみに立ち向かわなければならなかったのである。その苦しみを越えるためには、父なる神に祈ることが最善の行為であったのである。
・ しかし、三人の弟子たちは、肉体的な弱さのために眠りこけてしまったのである。それは、肉体的な弱さだけではなく、精神的な弱さをも表わしていると思う。弟子たちには、イエスがこれから経験する事の重大さを、いまだ悟っていなかった。
・ 十字架を前にしたイエスは、弟子に裏切られるとともに、弟子に見捨てられるほどの深い孤独を味わいながら、父なる神のみこころに従順に従われたのであった。それは、罪深き人類に対する大きな愛から生まれて来るものであった。

◆絵画からの瞑想

・ この絵からは、独特の孤独感が伝わってきます。植物の生えていない岩山、そして落葉している木にはたった1羽の鳥が止っています。そして、手前には、3人の弟子が仰向けになってぐっすりと寝ています。キリストのゲッセマネでの祈りが、ただ一人神に向かって祈っている心情がよく表われています。
・ キリストはご自分が十字架につけられる大いなる苦しみの前に、すでに孤独な闘いを強いられていたのでした。本来罪のないお方が、肉体を取られてこの世界にお生まれになっただけではなく、人類の持っている罪の罰のゆえに十字架の上で犠牲になることは、私たちの想像を絶する苦悶でありました。
・ その苦しみを乗り越える唯一の方法が、父なる神に執拗に祈り、ご自分を完全に神にささげることでした。祈りこそ、自らを神にささげる神からの方法でした。
・ 絵の右側を注意して観察すると、群衆が祈っているキリストに向かって近づいています。それは、イエスを裏切ったユダを先頭にして、キリストを捕らえるために祭司たちから遣わされた人々でした。ゲッセマネの園は、十字架を目の前にしたキリストの密室の祈りの場所でありました。

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