悪魔の誘惑

 


目次

◆天地創造
◆アダムの創造
◆女の創造
◆蛇の誘惑
◆楽園追放
◆楽園追放
◆カインとアベル
◆ノアの箱舟
◆大洪水
◆鳩を放つ(ミレイ)
◆鳩を放つ(ドレ)
◆ノアの祭壇
◆受胎告知
◆羊飼いの礼拝
◆東方三博士の旅
◆三博士の礼拝
◆エルサレム入城
◆弟子の足を洗うキリスト
◆最後の晩餐
◆ゲッセマネの祈り
◆聖衣剥奪
◆十字架の下での悲しみ
◆十字架降下
◆我に触れるな
◆キリストの洗礼1
◆キリストの洗礼2
◆悪魔の誘惑
◆ペテロとアンデレの召命
◆マタイの召命

日本聖書協会発行『アートバイブル』より
『アートバイブル』の絵の使用については、当サイトより日本聖書協会に申請をして、同協会より許諾を得ています。」2007N10010 ●聖書からの黙想は、:坂野慧吉著「創世記」『新聖書講解シリーズ:旧約1」(いのちのことば社発行):を参照しています。

「名画で巡る聖書の旅」

バイブル・アンド・アート・ミニストリーズ / 代表 町田 俊之

■第27回 ドウッチオの「悪魔の誘惑」(1310年、ニューヨーク、個人蔵)
        (1472-73年、ウフィツィ美術館)

27、ドウッチオの「悪魔の誘惑」<アートバイブル:p.36>

◆ 聖書箇所

 「更に、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き。世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、『もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう』と言った。  すると、イエスは言われた。『退け、サタン。「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ。」と書いてある。』そこで、悪魔は離れ去った。すると、天使たちが来てイエスに仕えた。」
                           −マタイ4章8〜11節−
◆聖書からの黙想

 悪魔は第三(最後)の誘惑に至って、「もし私を拝むなら・・・」と言いました。人間にとっての最大の誘惑は、自分が全世界の支配者になって、自分の思うままにこの世界を動かすことです。アレクサンドロス大王も、ナポレオンも、ヒトラーもその野望に燃えました。しかし、これは世界史にだけ関係することではなく、家庭や会社や、学校においても言えることです。自分が一番偉くなりたい、人から指図されたくないなどの日常生活にも深く関係することです。  悪魔の要求したことは、ただ、拝むだけのことでした。悪魔は誰にでも出来ることから私たちを誘惑してくるのです。アダムとエバのときもそうでした。木の実を取って食べればよいことでした。  しかし、そのことに同意するとき、私たちの心は悪魔の支配に身を委ねる結果をもたらすのです。特にイエスにとっては大きな勇作でした。悪魔に従えば、自分が十字架につかなくても、この世界を救えるということにつながるものでした。自分が苦しまなくても、この世界をよくすることが出来る・・・と。  イエスは敢然として、悪魔の誘惑を退けました。誘惑の入口で悪魔に勝利したのです。そして、イエスは十字架に向かって己の道を歩んでいったのです。ルカの福音書によると、悪魔はしばらくの間イエスから離れたとあります。悪魔は今も私たちを誘惑することを覚えましょう。またそれだけではなく、天使がイエスに仕えていたことも深く覚えましょう。私たちは、今聖霊が与えられていることを感謝し、そのお方に委ねて歩みましょう。

◆絵画からの瞑想

・この作品は、中世末期のシエナ派の画家ドウッチオが描いたものです。ルネサンス時代の 前で遠近法や空間意識も弱かった時代です。意味のあるものほど大きく描く方法が取られて いました。背景の大きさと比べるとその違いがよく分かります。ここには羽の生えた悪魔の
存在、またいいエスと天使たちが大きく描かれています。

・本来悪魔は目で見ることが出来ませんが(天使も同じように)、悪の存在の大きさの意味を受 け取ることが出来ます。悪魔はイエスを山の頂上に連れて行き、執拗な誘惑をしかけますが、 イエスは強い態度で悪魔を退かせています。イエスこそ、悪魔の力の大きさを知っていたか らではないでしょうか。

・また、天使はイエスのそばに寄り添って描かれていますが、悪魔の存在とともに神のみこころに従う天使の存在も私たちは深く自覚していく必要があります。

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