「内的促し」に従う
「自分は何になったらよいのであろうか?」私の興味はあまりに広く、これだという進路はなかなかつかめない。日によって違うし、また時間単位、いや秒単位でも心に描く進路は変わるしまつであった。私はこの問題であまりに悩むので、自分の進路の可能性をすべて図示することにした。
すると以下の六つのコースにまとめられた。
- 神学校へ行き牧師となる
- 大学院へ進む
- 外交官となり四〇歳で神学校へ行く
- 会社員となり三〇歳で神学校へ行く
- 会社員となり四〇歳で神学校へ行く
- 高校教師となる
(三〇歳が転機となるのはイエスの生涯に、四〇歳はモーセの生涯に従いたいため)
次に、クリスチャンの友人、学校の友人、教会の人々、宣教師、親、義兄などに、私はどの進路に向いているか尋ねた。「会社員として教育されるのがいい。」「先生がいい。」などの意見もあったが、母親の言った「あんたは組織の中でへいこらできる性格ではないから、先生か大学院ね。キリストの教えを宣べ伝えたいのなら大学院の方が時間がとれていいのじゃないの。」(当時母はまだ信仰を持っていなかった)と、大学の友人の言った「黒川は大学院向きだ。」との言葉、さらに当時、慶応大学の教員であった義兄との交流で、大学院に行くのが自分の道かもしれないと思うようになっていた。
外交官は、先輩に聞くと、パーティーがよくあり、酒を飲めない私には向かないことがわかり、高校教師は事務的作業が忙しく、整理能力のない私には向かないことがわかった。それに比べて、義兄を見るかぎり、大学の教員は、自由時間がかなりあるようであった。彼は一週間に一コマのゼミナールだけを担当して、後は自分の研究をしていた。もし、大学の教員になれば、この空いた時間を聖書研究会としての活動に用いることができる。学生伝道は、クリスチャンの教員が中心とならなければ継続したものとなりえず、外から伝道師や牧師を呼んでも、限界がある――聖書研究会活動の経験から学んだことから、学生伝道への思いはすでに与えられていた。
「進路を求めようとしている人は、伝記を読めばよい」という、ある牧師の勧めから、日本人のクリスチャンの生涯を参考にしようと思った。そして、内村鑑三と矢内原忠雄とに出合った。
生涯一信徒として聖書研究会、講演会、雑誌発行の方法で伝道し、多大な影響をあらゆる分野の人に与えた内村鑑三。彼の講演会には実に八百名以上が出席したとは、実にすばらしい。さらに、試練を耐え忍び、戦後に伝道活動ができることを条件に東大総長となった矢内原忠雄の生き方は、私に決定的な影響を与えた。
また、大学院に在籍しながら神学校でも学び、路傍伝道から教会を形成された尾山令二先生の生き方にも感銘を受けた。
牧師になることは確かに大きな「誘惑」であった。郷里でともに洗礼を受けたふたりの親友のクリスチャンは、献身して神学校へ行っていた。大学の聖書研究会の先輩の多くも神学校に行き、牧師の道を歩んだ。しかし、私には、ついに牧師になる召しはなかった。日本においては、牧師になって伝道するよりも、内村や矢内原のように信徒として職業に従事し、立派な業績をあげ、それとともに、聖書研究会方式でキリストをあかしすべきではないだろうか。私にとっての「献身」は、真の意味での献身ではないと思えた。
このようにして、私の「内的促し」は、学生伝道ができる大学院への進路にしだいに落ち着きつつあった。しかし、まだ自信はなかった。なぜなら、大学院の試験に合格するには、当時の私の成績からは誰が見ても不可能であったからである。
top