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著者プロフィール


ライフワークの発見と実現


黒川知文

三段ロケット計画  

 一九八〇年二月七日。一橋大学大学院博士課程に合格した。快挙と言われた。東外大の先生方は喜んでくださった。やはり研究者、学者になることが私の使命であることをしみじみと確認した。

 その頃私は「三段ロケット計画」という名の計画を立てていた。これは、国内の大学院の博士課程に進学し(第一段)、イスラエルに一年留学し(第二段)、アメリカにその後留学する(第三段)という計画であった。すでに「実現不可能の計画を立てて、神様の力によって奇跡的に大学院の道が開かれた経験があるために、まず理想を高く掲げて祈りをもって勤勉に努力すれば実現できるという確信を持っていた。信仰とは経験である。一度、不可能なことが信仰により可能となった経験がある者は、常識で全てを判断することをしなくなる。そして、より高い目標を掲げるようになる。人間の考えではどんなに不可能なことも神様は可能としてくださるのである。それが神様のみこころならば。

 イスラエル政府奨学金留学生への挑戦は二度目であった。今回は、国立の大学院博士課程の学生は私と筑波大学の人だけであった。彼は四度目の挑戦であった。大学の教員で受ける人はいなかった。そして予想通りに二人とも無事に合格した。

 郷里香川県のロータリー財団のアメリカ留学生試験にも合格した。

 「三段ロケット計画」は、かくして全て実現したのであった。

 「トロイカ人生計画」の一つである研究者、大学教員の道はこれでまず保証されたと思った。この時私はもうひとつの伝道者、牧師の道に歩むべく、神学校でも学ぶことにした。

 当時、東京キリスト教学園は国立にあった。一橋大学から歩いて二〇分の距離にあった。私は下宿をひきはらい、一橋大学の森の中の院生寮に住んでいた。イスラエルに留学するまでの四ヶ月の間、大学院の授業とともに、東京基督教短期大学や基督神学校の授業を聴講した。「聖書解釈学」「組織神学―聖書論」「小預言書研究」などの授業とともにチャペルにも出させていただいた。大学院の授業よりも面白かった。

 朝早く院生寮の新緑の林の中をバイクで駆け抜け、東京キリスト教学園で学び、チャペルに出る。そしてバイクで一橋大学に行き、昼食を食べて大学院の授業に出る。充実した日々であった。神様は信じる者に良きことをしてくださることを確信し、やがては、学生にみことばを伝えるという使命を実現しなければならない、と心に誓いながら懸命に学んだ。

 チャペルのメッセージに特に教えられた。聖書の学びだけでなく、信仰者のあり方、福音宣教や牧会の現状などについて学ばせていただいた。

 同じ教室で学んだ学生たちとも友人となり、七月にイスラエル留学に発つ前には、私のために送別会を開いてくれた。また、寄せ書きを書いてくださった。

  その寄せ書きの中に「将来、東京キリスト教学園ででも教えてください」という文章があった。これを書いた人の希望は、六年後に実現したことになる。  

 

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