前回の会報で、私は景教徒が古代日本に来たかも知れないと思わせる事柄について論じました。歴史的脈絡を見ると、その可能性があるように見えますが、しかし、来日したと語る歴史的記録はありません。唐時代、景教が活発に活動しており、同じころ日本は、その文明から多くの文化的アイデアを導入していました。 つまり日本への扉は大きく開かれていたのです。
尊敬すべき教会史家であるケネス・スコット・ラトゥレット博士は、このことに関して興味深い見解を示しています。彼は、次のように語っています。「唐王朝の時代、クリスチャン達あるいは、キリスト教の影響が中国の東方文化衛星都市(韓国と日本)にどのように移動したかを正確に証明することができません。 多くの韓国人や日本人が長安に来たことは知られています。彼らが、その国際都市で、そこに住んでいるクリスチャン達と出会うこと、また印象に残った教えを自国に持ち運んだ可能性があるように見えます・・・」(英語の原本からの翻訳)。① |
中国に行った人たちの中に、弘法大師として知られ、真言宗開祖の空海がいました。数人のクリスチャン達は、彼が中国滞在中に景教宣教師と接触したであろうと憶測しています。私は高野山に行った時、そこの数人(真言宗僧侶たちと他の人々)に、そのことを質問したところ、私は驚くほど肯定的な答えを受け取りました。私が質問した夫々の人が、「空海は景教から学んだということは大いにありうる、なぜなら彼は誰からでも学ぶことに興味を持っていたからです」と言いました。他の情報収集家たちは、高野山で同じ印象を見出したと報告しています②。私が空海について調査し始めた時、私は、彼が彼の仏教体系に多くの考えを組み入れた非常に聡明な人であることを知りました。
空海は、紀元804年に中国に行き、首都である長安で2年間過ごしました。当時、その市には3つあるいは4つの景教会堂がありました。事実、空海は、長安の中心教会である大秦寺の近くにある仏教修道院に住んでいました。有名な景教碑文を見たり読んだりしたとの憶測があります。 |
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今から約100年前、情報収集家のE. A. Gordon夫人は、弘法大師が景教の影響を受けたという、ありえそうな話にたいそう魅了されたので、夫人は和歌山県高野山の奥の院に、その複製品の石碑を建てることにしました③。この複製品は今日も、空海が景教の影響を受けたであろうと信じる人々の存在を証言しています(写真)。
もともとの景教碑は、紀元781年に西安に建立されました(歴史家たちは、これが首都内に建てられたか、町の外にあった景教修道院に建てられたか明確にしていません)。その碑文に、建立の1世紀半以前の景教宣教の創立や景教神学の概要が記されています。多くの言語や表現方法は、仏教や儒教からの借用ですが、この神学的概要は、景教がキリスト教であることを我々に明確に示しています。その碑文は、景教の指導者の一人である景浄(Adam とも呼ばれています)によって著されました④。 |
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興味深いことに、この景浄は、「貞元新定釈教目録」と題する古代記録の中で語られています。つまり、仏教経典を中国語に翻訳することを望み、先ごろ到着したインド人仏教僧の手伝いとして景浄の名前が語られているのです。その翻訳文は中国皇帝に謹上されましたが、彼はそれを善しとしませんでした。そこには二つの異なる宗教が 混合する傾向がみられ、双方の完璧な味わいが失われていたためでした。そこで、皇帝は、二人が一緒に働くことを禁止し、そして結果的に仏教経の翻訳者の名前はインド人僧侶の名のみが記されたのです。 彼の名は、 般若(Prajna とも呼ばれます) といい、その経典は 「大乗理趣六波羅蜜多経」と題されています。この事業の約20年後、空海が長安に到着し、言い伝えによると彼は般若のもとでサンスクリット語を学んだとされています(私は、空海が景浄あるいは、他の景教宣教師と出会ったという歴史的記録について聞いたことがありません)。空海が日本に帰国した時、「大乗理趣六波羅蜜多経」を含む多くの経典を持ち帰りました⑤。
その経典にキリスト教的観念を組み込んだと言う可能性に、数え切れないほどの情報収集家たち、しかも保守的な歴史家でさえも魅了されています。歴史家サムエル・ヒュー・モフェット博士(彼は、宣教師の親を持ち、韓国で生まれた)は、景教の宣教師たちが韓国や日本に到達することには懐疑的ですが、般若、景浄、そして空海(天台宗教祖である最澄・伝教大師も同様)の関係を持ったことには肯定的です。モフェット博士は、空海と最澄の二人は紀元後804年に中国の唐に住んでいたと指摘し、そして彼らに対する次のようなコメントを書いています(英語の原文からの訳)。「日本の仏教推移全体でこれほどまでに影響力のあった人物はほとんどいません(空海と最澄ほどに)。般若を通して、景教指導者の景浄と共に、これらの人々の偶然の関係が、日本で発展した大乗仏教の変種の中にキリスト教理論の種をもしかして蒔いたかもしれないと、考える誘惑に抵抗できる人がいるだろうか⑥。<次号に続く(訳者、ハウディシェル俊江)>
① ケン・ジョセフ,シニア&ジュニア, 「隠された十字架の国・日本」, 徳間書店 (東京, 2000), p. 117.
② ケン・ジョセフ,シニア&ジュニア, 「隠された十字架の国・日本」, 徳間書店 (東京, 2000), p. 117.
③ Saeki, P. Y., The Nestorian Monument in China, Society for Promoting Christian Knowledge (London, 1916), pp. 11-2, 32, 37, 92, 214, 240-1.
Gordon, E. A., Messiah, the Ancestral Hope of the Ages, Keiseisha (Tokyo, 1909), pp. 3-4.
④ Saeki, pp. 26, 35, 118ff.
⑤ Saeki, pp. 71-5. Saunders, E. D., Buddhism in Japan, Charles E. Tuttle Co. (Tokyo, 1964), p. 154. 川口一彦「景教のたどった道」キリスト新聞社, (東京, 2005), p 113.
⑥ Moffett, S. H., A History of Christianity in Asia, Volume I: Beginnings to 1500, Orbis Books (Maryknoll NY, 2001), p. 302. |
報 告
①景教講演「司馬遼太郎と景教」の講演CDかテープの発売ご案内
川口一彦代表が、今年の1月から「司馬遼太郎と景教」と題して公開講演会を開催(右は、2月の講演写真。愛知県春日井市松新公民館にて)。
司馬遼太郎が景教を語っている著書は「空海の風景」「ペルシャの幻術師」「兜率天の巡礼」。ともに文春文庫発行。
講演要旨のCDかテープが必要な方は電話・ファクスか手紙またはemailでお申し込みください。費用は送料込1000円。郵便振込用紙で振り込んで下さい。
②「世界景教セミナー日本講演」の予定
2010年秋に「世界景教セミナー日本講演」(仮称)を計画しています。会場は京都、会期は未定ですが、このセミナー開催のためにお祈り下さい。詳しくは次号に発表できればと考えています。 |
③韓国の景教研究家、鄭学鳳博士が来日
高野山と京都を見学(川口代表、代表の教会員の会員や湯澤牧師が案内)。
昨年、鄭牧師が「景教」を出版(右の写真)。 |
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会計報告・2009/12/1~2010/2/28 会計責任者・川口一彦
*収入/134,921円
内訳:会費/4名×3,000円=12,000円。献金19名=122,921円
*支出/35,616円
内訳:会報の発送費・印刷インク代、翻訳費ほか
*差引/99,305円
現在額 216,145円
◆景教のシンボル「大秦景教流行中国碑」(西安市)のコピーの建設資金のためにご献金下さい。
郵便振替 口座記号・口座番号・口座名「00840-9-169580 日本景教研究会」
「景教」会報誌を活用して下さい
景教に関する論文や遺跡の発表の場として本誌を設けましたので、ご活用下さい。また「景教と私」とのテーマで景教から学んだことその他を寄稿、投稿して下さいますなら嬉しい限りです。 |
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