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中満 恵

著者プロフィール


しののめを呼びさます9

中満 恵

 

― 国会クリスマスに、姉と義兄をよびたい ―


  次の週も、その次の木曜日にも私は御茶ノ水へ出かけて行った。うきうきと楽しく、毎週木曜になるのが待ち遠しく、厚木からの長い電車の道のりなど、少しも苦にならない自分がいた。祈祷会で報告される国会クリスマス晩餐会の準備状況を聞いていると、当初は有志たちの熱いヴィジョンだけが先行し、実情は混沌としているかに見えた国会クリスマスの骨組みが少しずつだが確実に、形成されていくのがわかり心強かった。それはまさに御国の建設のご奉仕であると思われた。
  私は、あたかも死が生に飲み込まれてしまったように、自分自身がこの働きに飲み込まれてしまったのを実感していた。

  しかし国権の最高機関である国会は、日々めまぐるしく動いている。その中で働く超多忙を極める国会議員の方たちに、キリスト者であるとはいえ協力を求めていくのがいかに難しいことかもうかがえた。国会内を巡り議員たちと折衝を重ねるスタッフの人々の熱い願いと祈り、聖霊の切なるうめきによるとりなしがなければできないことだった。

「愛する兄弟たちよ、堅くたって動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。」
                                         コリント人への第一の手紙15章58節

  何週か目にチラシのゲラ刷りが出来上がってきて皆に配られた。それはグリーンを基調とした上品な、豪華で大人っぽいデザインだった。
  そのチラシをみて、義兄と姉を呼びたい気持ちが募った。もう呼ぶしかないと思った。

  働きながら二人目の子を妊娠中だった姉を手伝うため、冬のスウェーデンに3ヶ月間暮らしたことがある。 マグナスだけ先に「日出ずる国・日本」へ赴任した後も、姉は勤めていた国際機関での残務処理や引継ぎなどに時間がかかり、スウェーデンに残っていた。私は妊婦である彼女の食事管理要員として、スウェーデンへ飛んだのだった。

  ストックホルム市内の家は日本人の外交官家族に貸すためすでに明け渡しており、私たちは都市部から車で1時間くらい森をわけ入ったセカンドハウスに滞在していた。
  真冬の北欧は、日照時間が一日に4時間あるかないかの暗い季節である。姉が出勤する時刻、家の周りの森はまだ漆黒の闇に包まれていた。10時を過ぎてようやく待望の朝日が昇り始めたかと思うと窓から部屋いっぱいに燦燦と陽が射し込み、それは大げさでなく感動的な光景だった。姪っ子は貴重な、神の慈愛にも似た柔らかな日差しを浴びるため歓声を上げながら庭に飛び出していくのだった。私も彼女を追いかけては、昨晩庭を訪問したらしい大きな鹿(エラ鹿の仲間でトナカイにもよく似た動物)の足跡を探すのが日課となった。
  「狼や熊じゃないでしょうね。」と姉に言ったら、「そんなものいるわけないでしょと」と笑われたものである。

  ほんの束の間ここが冬の北欧であることを忘れてしまいそうな、眩い太陽があっという間に沈むのは午後3時。何の予告もなく一刻の猶予も与えてはくれず、辺り一面が暗闇に変わる。日本の夕暮れしか知らない私には、恐怖すら覚える瞬間だった。スウェーデン人は、マイカーを持つのと同じ感覚でセカンドハウスを持ち、森の湖畔で夏の休日を過ごす。ここは冬のための家ではなかった。遠くに見える隣家の窓に今晩も灯りはついていない。あり得ないことだが、仮にこの家に強盗が押し入ってきたとしても全く無防備の、奥深い森の家だった。よくマグナスのお母さんが心配して、やって来てくれた。
  健気な妹は日が出ているうちに大急ぎで買出しを済ませて夕食の仕度にとりかかり、真っ暗闇の森の中に北欧風のほのかな明かりを灯した部屋で姉の帰りを待っている。防寒に優れた家屋は室温が保たれているとはいえ、焚き木の在庫も考えて暖炉は晩だけと決めていた。ピアノがあったのでよく弾いていたが、暗いのには、本当に参ってしまった。

  ヨーロッパでは、冬は日照時間に関係するうつ病患者が急増すると聞いたことがある。私にもそんな症状が出ていたのかもしれない、夜自室にこもると、ふいに涙がこぼれてくることもあった。
  真夜中、無謀にも寝巻き姿で庭へ出て満天の星空を見上げるのは至福の時だった。
  そこに展開するのは正真正銘、神が創り給うたプラネタリウムだった。そして観客は私ひとりだけ。北極星を中心に、無数の星が今にも降ってきそうな天空が広がっていた。気味が悪くなるほどおびただしい数の星に、思わず手を伸ばして掴みとれそうな錯角すら覚える。……オーロラはさすがに見えない。天体の真っ只中に身を置いていると自己の存在を奪われ、星空にロマンをなどという悠長な言葉は虚しく吹き飛んでいく。やがて歯の根もあわなくなってくる。ガチガチと歯を鳴らし震えながら声も上げずに、圧倒的な創造主のわざを見上げていた。

もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざを示す。
この日は言葉をかの日に伝え、この夜は知識をかの夜に告げる。
話すことなく、語ることなく、その声も聞こえないのに、
その響きは全地にあまねく、その言葉は世界の果てにまで及ぶ。
                                  詩篇19篇

  (このまま凍死して、日本へ帰れなくなっても本望だわ)
  心の片隅で、そんなことを考えていたかもしれない。
  関西生活に限界を見始めてしまった頃だった。

  もうひとつ私が恩恵を受けた大切な国、それはスウェーデンの隣国、ノルウェーである。
  関西時代に通っていたルーテル教会は、ノルウェーの宣教師たちが始めた教会だった。ノルウェー宣教師たちの質実剛健な信仰と生活スタイルは、教会内のすみずみに息づいていた。彼らは口数こそ多くはないが、強靭な精神力を内に秘めた働き人だった。厳しい気候の下で培われた寡黙な性格に加え、忍耐深さと芯の強さを兼ね備えていた。それは四季折々の豊かな自然の恩恵を受けて育った日本人には見ることのできない、骨太な性格だった。国土の3分の1近くを北極圏が占める北欧からやってきた兵(つわもの)たちは、バイキング特有の射るような目で私を見つめ、淡々と聖書の言葉だけを語ってくれた。

  余談だが2008年6月、ノルウェーの外交力を特集し、NHK番組「クローズアップ現代」が放映された。
  題して『ノルウェー“小国”の外交戦略――クラスター爆弾規制交渉』。
  クラスター爆弾は、多くの不発弾が残存し、民間人が長期にわたって被害に苦しむ、核兵器や生物兵器と並ぶ文字通り「悪魔の兵器」である。その使用禁止・制限に向けた国際的な取組みのひとつがノルウェーなど有志国や非政府組織が主導する軍縮交渉「オスロ・プロセス」であった。
  禁止条約は50年間野放しにされ、締結は不可能と思われていた。2008年5月、米国やロシア、中国、インド、イスラエル、パキスタンなどのクラスター爆弾の主要製造国や保有国が「オスロ・プロセス」ダブリン会議を欠席するという厳しい交渉環境の下、爆弾2個の最新型などしか例外を認めない、ほぼ全面禁止と言ってもいいような厳しい内容で、日英独仏など107カ国が合意した。
  この条約締結のための国際会議を、常に主導する立場にあったのがノルウェーである。
  私はこの番組を見て、小国でありながら一本筋の通った原理原則を持つ北欧の外交姿勢に静かな感動を覚え、心の中で拍手喝采していた。そして、条約締結交渉にあるときは強硬に、あるときはしたたかに暗躍したであろう外交官たちに、私が出会ったノルウェー宣教師の姿が重なってみえた。大国アメリカの顔色を常に伺い、国の舵取りにおいて骨抜きにされている日本と比べて、小国でありながら毅然とした存在感を示せるとは、なんというかっこよさだろうか。
  「キリスト教に基づく人道主義、使命感と、ヨーロッパで繰り返された戦争に巻き込まれた辛い歴史」。ノルウェーが“仲介外交”に力を入れる理由として、東海大学の池上佳助准教授が挙げられた内容も、これからの日本の目指すべき路線に大いに重なるように思えて印象に残った。
  残念なのは日本国内に、このような北欧諸国に対して積極的に学ぼうとする人物が少ないことである。
  外交官や外務大臣を目指している知り合いが多い中で、あえて彼らに「小国に学ぶ勇気と謙遜」を持って欲しいと願っている。

  書き尽くすことが出来ない、諸々の感懐があった。世界でも最大多数の宣教師を海外に送り出している国、スウェーデンとノルウェー。新しく家族の一員となったスウェーデン公使の義兄と、愚かで小さな私の信仰を育てるために宣教師を派遣してくれた国、ノルウェーの大使を、国会クリスマスに招待したいと願うのは、私にとってごく自然の感情だった。

  善は急げ。決めたからには、まずは招待状だ。
  早速喫茶店に英語の辞書を持ち込み、文面作成にとりかかった。悦に入ってコーヒー片手に、ノートにすらすらと書いてみる。文を書くのは、得意なのだ。
  (へえ私って、英語も結構いけるかも)。
  書き上げた英文招待状は、(日本語にすると)おおよそこんな雰囲気に仕上がっていた。

『 拝啓。ノルウェー大使閣下様。
このたび私たち、国会クリスマスを開くのこと、決まりまして、あなた様をご招待することができまことに光栄至極に存じ申し上げ奉ります
日にちは11月30日、場所はキャピトル東急ほてル真珠の間です。なお、前の国防省大臣の石破茂氏も、いらっしゃます。そしてメインスピーカーは…$ж?※£Яё♂jE¥!
貴方のお国の宣教師たちは、日本のキリスト教会の成長に、多大なる貢献を賜らせてくださいました。だから、私は貴方とご一緒にクリスマスを祝えることができ、とてもしあわせです………@★EdШ&メ∂#∵Ё←……』

  (やっぱり駄目だ)。
  帰宅して母に相談すると、ノート一面に英語が埋め尽くされているのを見て「あんた、すごいじゃない」としか言ってくれない。もう、相手にしてらんない。
  (となると、奥の手は・・・)
  それを考えると気が重いが、やはり避けて通れない人だった。

  ある日の昼下がり、六本木のスウェーデン大使館へ出かけて行った。
  真新しい地下鉄南北線の六本木一丁目駅から空中を縫うように何層にも重なるエスカレーターを上りきると、泉ガーデンタワーを眼下に、オウディトリアム式の北欧デザインの建物が待ち構えていてそれがスウェーデン大使館である。外国人居住者が多いのだろうか、周辺の緑豊かな街並みはモダンに整備されていて散策コースとしてもうってつけだ。20年近く関西で暮らし、大阪が世界の中心くらいに思っていた時分には想像すらしていなかった、目を見張るような東京の変貌ぶりだった。
  姉の家には、もう何度も足を運んでいた。
  建物のワンフロアーが公邸になっていて、トイレが4つ、シャワルームも3つあり、いつも私が行くと姪っ子は待ち構えていたように「メグ、かくれんぼしよう」と飛びついてくる。本当に広くて、かくれんぼには最適な家である。だが今日はそれどころではない。

  姉は日本では国連を休職して大学で教えていたが、講義がない日は家にいた。
  私は刷り上ったばかりの「国会クリスマス晩餐会」のチラシを出して姉に見せた。
  「あのさあ、ノルウェー大使を、晩餐会にご招待したいんだけど。」
  (お義兄さんを、といえばよいものを、やはり私は、直球勝負が出来ない人間のようだ)。
  何これ、とチラシを手にとると、姉は黙ってそれを眺めていた。そこには7人の侍ならぬ、7人のクリスチャン国会議員の方々の顔写真が一列に並んでいる。
  「メグ、こんな仕事してたの?」
  少し驚きの色が伺えた。
  「うん、まあね(うそをつけ)。それでね、ノルウェー大使(とマグナス)をご招待したいんだけど(特にマグナスね)、分からないこともあるからいろいろ教えてもらいたくて。ご招待状は作ってみたの(これが招待状といえるか)。ちょっと(ほとんど全部)英語もみてもらえないかな。」と私。
  姉はチラシと招待状の文面から、「国会クリスマス」がキリスト教団体の主催によるものだということも気づいたようだ。だが拒絶反応は、感じられない……そしてしばし7名の国会議員の顔写真を眺めながら、言った。
  「えーうそ、藤田さん、クリスチャンだったの?」
  呼びかけ人の中に、民主党の藤田幸久議員のお名前があった。

  以下、後になって姉から聞いた話。
  義兄が外交官として日本へ赴任してから、最初に知り合った日本の国会議員のお一人が、民主党の藤田幸久先生であったそうな。そして藤田先生のご専門のひとつ、難民問題と、彼女の仕事(国連難民高等弁務官事務所)が共通分野であったことから交流が始まり、家族ぐるみでよきお交わりをいただくまでになっていたというのだ。
  紛争地域や災害地域での活動は、いつ援助者自身にも危険が及ぶかもわからない緊迫を伴う。姉はこの分野でのエキスパートを自任しているだけに、安易な国際貢献“ブーム”には厳しい眼差しを持っている人だった。だが藤田先生の長年の活動には確かな実績がおありだった。それはすなわち、先生が携わってこられたNPO(民間国際団体)での活動には、NPOでなければなしえない、つまり国連とは違った角度からの多大な貢献があるということだった。姉は、教えていた一橋大学に藤田先生をお招きし、国際貢献を目指す学生たちのための講演を依頼したこともあったのだという。

  そのような素晴らしいクリスチャンの国会議員と、来日早々姉夫婦は出会わせていただいていた。
  そして、このたび国会クリスマスの働きを通して、事の次第が明るみになった。
  姉よ、笑うなら笑え、すべては神様の御手の中にあるのだぞ。
  いやはや、かく云う私も、全く知りませんでした。

  それから姉はPCの前に行くと、あなたほんとに英語科出てるのと苦笑しながらキーボードを叩き、私が作った招待状の文章を手際よく修正すると、冒頭にノルウェー大使のお名前を打ち込んで綺麗に仕上げてくれた。(ありがたいことに姉のPCはスウェーデン・ノルウェー語対応だった。大使のお名前がノルウェー文字だったので、助かった)。
  「それで。うちのマグナスは招待してくれないの?」
  一瞬のことで、耳を疑った。
  「えっうそ、来てくれるの?」
  内心小躍りしたい気持ちだった。
  「もちろん、招待しますとも!」

 

つづく

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