創造の素晴らしさを探求しよう。 宇佐神 実

 


目次

人はどこから?(1)
人はどこから?(2)
人はどこから?(3)
創造の証拠(1)
創造の証拠(2)
創造の証拠(3)

 

 著者
宇佐神実
 プロフィール

 クリエーション・リサーチ


人はどこから?(1)

  次の教師と生徒の会話をあなたはどう思うでしょう。

教師「ある考えをほんとうに理解しているとしたら、その考えに好都合な点だけでなく、それに不都合な点をも指摘できると思うが、どうかね」
生徒「ええ、できると思います、先生」
教師「よろしい。では、進化論に対する反証をいくつかあげてみたまえ」
生徒「え、何に対する反証ですか」
教師「進化論だよ」
生徒「でも、それには反証などないんじゃないですか」
(ヒッチング F.著 「キリンの首」平凡社 1983年7月15日 9頁より)

◇ ◇ ◇

 実は、多くの人が進化論は反証などない事実だと信じています。しかしそれは、生物学で進化論を教えられる時に進化論に反する証拠を教えてもらわないからです。アメリカの世論調査(Zogby poll 2005)によると、69%の人々が、「教師は生徒に進化論に教える時、進化論に反する科学的証拠も教えるべきだ」と回答しています。実は、進化論に反する証拠はたくさんあります。しかし、どんなに問題があっても「進化論こそが人の存在理由を説明できる唯一の説だ」と考えるので、進化論を信じるほかありません。しかし実は、これは唯一の説ではないのです。

◇ ◇ ◇

 このことは昔から知られていました。1929年にシカゴ大学の動物学者D.M.Sワトソンは権威ある科学雑誌NATUREで次のように述べています。

「進化論が世界的に受け入れられているのは、論理的で首尾一貫した証拠によって真実だと証明されたからではない。それは、唯一の対案である特殊創造論など明らかに信じられないからです。」(※注 特殊創造論:創造主が六日間で宇宙と地球および地球上のすべての生物を創ったと聖書に基づいて考える立場)
"The theory of evolution (is) a theory universally accepted not because it can be proved by logically coherent evidence to be true but because the only alternative, special creation, is clearly incredible." (D.M.S. Watson, "Adaptation," Nature, Vol. 123 (1929), p. 233).

◇ ◇ ◇

 ワトソンは、進化論の唯一の対案が創造論であることを知っていました。それでは、進化論と創造論とはどのような考えでしょうか。

 進化論の前提には「創造主は存在しない」という考えがあり、創造論の前提には「創造主は存在する」という考えがあります。したがって、進化論では「創られなかったのだから、すべては偶然に自然に出現した」と考え、創造論では「創造主が知恵と能力を用いてすべてを創造した」と考えるのです。「創造主は存在しない」と信じる人にとっては、創造論を信じるなどばかげていると感じるのは当然のことです。

 しかし、もし前提に左右されずに、客観的に証拠を調べようとするなら、どちらが正しいかが見えてくるでしょう。近年、客観的証拠から進化論をやめて創造論の立場をとる科学者が増えています。その筆頭にあげられるのは、「遺伝的エントロピーとゲノムの謎(邦訳なし)」の著者で、クローン技術を開発した遺伝学者のジョン・サンフォード博士です。サンフォード博士は同書の中で、ゲノムの研究が進み、新事実が明るみにされたことで、でたらめな突然変異と自然選択によって進化したとする進化論が適正を欠くことを述べています。今ではサンフォード博士は聖書に書かれている創造主を信じ、「創造されたすばらしい遺伝子」という視点から研究を続けています。また、日本では、やはり長年遺伝子の研究を続けてきた筑波大学名誉教授の村上和雄博士が、「生命の暗号(1)」「生命の暗号(2)」を著し、「無目的で偶然にできあがったものであるとしたら、これだけ意味のある情報にはなりえない。まさに神業であり、そうなるとどうしても、その設計者の存在を想定しないわけにはいかなくなる。」(村上和雄、「生命の暗号(2)」サンマーク出版2001年7月10日199頁)と述べています。

 このような第一線の科学者たちが創造者あるいは設計者の存在を遺伝子の研究から考えだしたのですから、「創造論を信じるなどばかげている」と言い切ってしまうことは愚かなことでしょう。

 進化論に反する証拠を1つ挙げましょう。それは、ミッシングリンクについてです。動植物が徐々に進化してきたなら、生物と生物の中間型の生物が存在したはずであり、化石などの中に発見されるはずだと考えるのは当然のことでしょう。2007年1月25日発刊の科学雑誌NATUREに次のようにありました。

◇ ◇ ◇

 現代的な遺伝子解析手段は有り余るほどなのにもかかわらず、進化の過程の解明は進化の結果に依存しており、ダーウィンの時代からほとんど変わっていないというのが現状である。そして、進化の中間的形態が存在しないことが、知性ある設計者によって生命や宇宙が造られたとする「インテリジェント・デザイン」説の支持者に反論の余地をあたえている。
(Frank J. Poelwijk, “Empirical fitness landscapes reveal accessible evolutionary paths” Nature vol. 445, 25 January 2007 pp. 383-386)

◇ ◇ ◇

 「進化の結果に依存して」いるとは、現在完全な生物が存在しているのだから、進化したという前提で解明するしかないということでしょう。また、「進化の中間形態が存在しない」と述べており、中間型の生物、すなわちミッシングリンクが存在しないことを認めています。時折、ミッシングリンク発見の報道がなされますが、しばらくするとそれがミッシングリンクではなかったという報告が科学雑誌などで報告されているのです。残念ながらミッシングリンクではなかったという事実が一般に報道されることはまずありません。たとえばネズミとイヌの中間型の生物、ネズミとネコの中間型の生物のようなものがあれば、進化の可能性を科学的に考慮できるでしょうが、過去にも現在にも実際には存在していないのです。創造論によれば、ネズミはネズミ、ネコはネコ、イヌはイヌとして創造されました。同様に、人間はサルの祖先から進化したサルの仲間ではなく、人として特別に創造された存在です。あなたはどこから来たのでしょう。偶然の突然変異の結果出現したサルの仲間でしょうか。それとも遺伝子からわかるように特別に設計され、創造された人でしょうか。


↑top

Copyright (C) 2004 e-grape Co.LTD. All Rights Reserved.